石油王・中野貫一と中野村
前回、「石油王・中野貫一が東京都に広大な土地を所有していたために中野区という名称になった…とするのは誤り」と書きましたが、この誤った情報の元と考えられる別個の事実が2つあり、それらがゴチャゴチャになって伝えられたのではないか?…と私は考えています。
その事実とは…
- 中野村(旧岩船郡高根村大字中野)の開発という事実
- 東京芝浦埋立地の買収という事実
…の2つです。
ネタ元は、「石油王中野貫一ものがたり(1988年5月10日発行、著者=徳永清綱、発行所=新潟日報事業者出版部、ISBN4-88862-340-6)」です。
この「石油王中野貫一ものがたり」によれば…
大正2年岩船郡高根村(岩船郡朝日村)の中に原野約154ヘクタールを購入した。この土地の開発は貫一が晩年最も熱心に愛着をもって開発して中野村(朝日村大字中野)という一村が出来たところである。
ということです。つまり「中野様が土地を買収して開拓したために、地名に「中野」の名が付けられた」ということですね。この地の開発にどれだけ困難が伴ったかについては、「石油王中野貫一ものがたり」でも触れていますが、朝日村教育委員会、朝日村教育研究協議会共編の社会科資料集「わたしたちの朝日村」に「中野の開こんの歴史」として、地元小学生がまとめた歴史が分かり易く掲載されているとのことです。
しかし、Mapionの新潟県岩船郡朝日村の住所一覧を見ても「中野」は確認できません。ですので朝日村大字中野ではなく、合併前の高根村の時代に高根村大字中野だったのではないか? とも考えられます。その点、朝日村の歴史を紐解けばハッキリするのでしょうが、手元に資料がないのでここまでです。わずかな手がかりとして、朝日村農地係・同村農業委員会のページに農業委員の名簿があり、ある委員さんの担当地域として「中原・中野・薦川」が載っています。ここから、現朝日村の中に大字ではないかもしれないけれど「中野」という地名が残っていることが確認できます。
東京芝浦埋立地の買収については、また後日。
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